「記録」よりも「記憶」に残る大切さ

こんにちは。ヨネダです。
プロ野球ファンの方以外にも、先週10月26日(木)のドラフト会議を注目した人が多かったと思います。特に、清宮幸太郎内野手(早稲田実業)に1巡目で何球団の指名が入るのか?ということが話題になりました。ご存知のとおり、最終的に7球団競合の末、日本ハムファイターズが交渉権を獲得しました。

また、清宮幸太郎内野手とともに、高校ビッグ3として注目になった、夏の甲子園で大会史上最多となる6本塁打を放った中村奨成捕手(広陵)が地元広島東洋カープ、そして高校通算65本塁打を誇る安田尚憲内野手(履正社)が千葉ロッテとそれぞれ1位指名され、おそらく来年のプロ野球会をにぎわしてくれるだろうと期待しています。

さて、今回私が注目した人物は、ドラフト指名される選手ではなく、7球団の競合の末、みごとクジ引きで清宮選手のドラフト交渉権を獲得した木田優夫・日本ハムファイターズゼネラルマネージャー(GM)補佐です。ドラフト会議は、リアルタイムではなく、その日の夜のスポーツニュースの中で見たのですが、そのクジ引きの映像を見たときに、どっかで見たことがあるな~と…誰だこの人は?と感じたくらいでした。

ひょっとして、元巨人の木田さんじゃなかろうか…と思っていました。そしてまさに元巨人軍投手(あくまで私の記憶の印象として)の木田さんその人だったと分かり、びっくりしました。

あれ?今は日本ハムのGM補佐?
え?どーいういきさつでこうなったの?

私の中では、元巨人軍の選手ということだけが鮮明に記憶の中で残っていたので、木田さんの、巨人軍のあとの経歴が気になってしまい、調べてみることにしました。

木田選手(あえて、ここではそう呼ばせてもらいます)は、1989年にドラフト1位で読売巨人から1位指名を受けて、入団しました。2年目の1990年には、二けた勝利をあげ、セリーグ最多の182奪三振を記録し(当時は最多奪三振の表彰はなし、1991年より表彰)これからを期待される若手になりましたが、その後伸び悩み、タイトルを手にすることありませんでした。

9年間の巨人軍在籍のあと、1998年にオリックスに1年間所属し、その後同年11月に、メジャーリーグのデトロイトタイガースと契約し、日本人8人目のメジャーリーガーになりました。その後、オリックスに復帰、ドジャース、マリナーズ、ヤクルト、日本ハムと日米の球団を渡り歩き、2012年には、石川ミリオンスターズ(BCリーグ)へ入団することになりました。

石川ミリオンスターズでは、公式戦72試合中、52試合に登板し、3勝1敗15セーブ 防御率1.76でチームの前期優勝に貢献しました。2014年には、NPB復帰をめざし、石川で投手兼ゼネラルマネージャーとしてプレー、そして、同年9月13日の試合が最終戦となり、引退することになりました。

2015年から日本ハムファイターズGM補佐に就任するまで、合計延べ8球団(実質は7球団(オリックス2回))を渡り歩くことになります。1989年の巨人軍入団から、2012年の日本ハムファイターズ退団まで約23年間、投球回数は、1,300回以上に上ります。過去の経歴、成績を新たに振り返ってみると、苦労した分、いろいろ経験しているのだろうと想像できます。

目立った記録は、入団2年目の182奪三振のみですが、「記録」より「記憶」に残る、応援した選手の一人でもありました。

その「記憶」に残る元プロ野球選手にクジを引かれ高校通算本塁打の「記録」に残る清宮内野手が「記録」ももちろんですが、「記憶」にも残る大打者になってほしいなと、一プロ野球ファンとして、切に願ってます。

また、木田優夫GM補佐の今後も個人的には注目していきたいと思います。

さて、このブログを執筆している最中、武豊騎手のキタサンブラックの天皇賞・秋、制覇のニースが飛び込んできました。これぞまさに「記憶」に残る名騎乗だったのではないでしょうか・・・・。

いやー、あのコースどりは、「さすが」としか言いようがありません。

▽これまでの記事はこちら

広島東洋カープにみる、強い組織になるための「人材採用」
「インターンシップ」が社員教育に与える効果とは

関連記事

  1. 仕事もプライベートも「目的意識」が大切。

  2. 盛り上がる将棋にみる「大切なこと」

  3. 「あなたは社会に何を残しますか?」

  4. HRPブログを開設します

  5. お豆さんのフジッコにみる売れる為のヒント

  6. 環境を変えたいならまず自分から